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御社殿

下総名勝図絵

玉﨑神社

【拝殿】◇千葉県指定有形文化財

現在の拝殿は、当時 飯岡浜が御神徳により浜大漁に沸き、百両の寄進を得て嘉永5年(西暦1852年)再建されたものである。
造りは桁行5間・梁間3間で、1間の向拝がつく。屋根は入母屋造りで、木造銅瓦葺きである。正面に千鳥破風を設けており、外部四隅の柱上部には、阿吽の唐獅子の彫刻を、向拝正面には親子龍、向拝の柱上部には飛龍の籠彫りを配している。
こらら一連の雄渾な彫り物は、江戸時代末期当地が生んだ名工・石田丹治栄貞の力作である。

仏師 石田丹治栄貞(西暦1798~1872年)

丹治は15才の時、仏師利右衛門宰吉の門をたたき、天賦の手腕と昼夜分かたぬ超人的な努力により、左甚五郎にも劣らぬ関東屈指の名工とうたわれるに至った。
玉﨑神社拝殿向拝の親子龍及び飛龍、拝殿四隅の唐獅子を始め殿内外の彫刻は、丹治40代の作で、玉の浦の水難に際し、しばしば龍の彫り物が白蛇と化し、水夫を助け上げたという伝説を生んだ、技神に入るとでもいうべき彫り物である。 

玉﨑神社 本殿

【本殿】◇千葉県指定有形文化財

現在の本殿は、擬宝珠に元禄10年(西暦1697年)の銘文があり、この年の御造営である。また、多数の飯岡や近郷の商人の名が列記されており、九十九里漁業の繁栄期に造営したものである。
造りは一間社流造で、正面に板扉を設け、側背面には格子の裏に板を貼った蔀状の壁である。屋根は始め草葺であったが、昭和天皇御大典の記念事業として、昭和3年(西暦1928年)に銅版葺に改められた。虹梁・大瓶束・拳鼻等に中世末期の様式をとどめ、蟇股等には江戸時代の様式が加わっている。   

境内案内

  • 平田篤胤歌碑

    平田篤胤歌碑

    磐楠に 常磐の松の より副ひて
    千世を契りし ことの畏さ

    この歌は、夫婦木と称し、楠の大樹に松の木がくっついた御神木を、文化13年(西暦1816年)5月、篤胤が当神社に参詣した際に仰ぎ見て、たいそう感激され、これは御神威によるところであると詠んだものです。 

  • 昭和天皇御製碑

    昭和天皇御製碑

    あめつちの 神にぞいのる 朝なぎの
    海のごとくに 波たたぬ世を

    この御歌は、昭和天皇が昭和8年のお歌会始で、天地の神様に世界の平和を祈られてお詠みになった御歌です。当神社では、この歌に作曲・作舞した祭祀舞である「浦安の舞」と当神社独自の祭祀舞である「磐楠の舞」を、厳かな雅楽の演奏のもと、三大祭(1月15日・5月5日・10月15日)ごとに神前に奉納しています。

  • 天の石笛

    天の石笛(旭市指定文化財)

    附 霊石(子宝石)三十五個
    附 石笛 八個

    この石笛は、享保3年(西暦1718年)頃、漁師の網にかかり奉納されたもので、石質は飯岡石(凝灰質砂岩)です。頭部に直径30cm、深さ40cmの溝穴があり、側面にも穴があって、風が吹き込み、妙音がした。漁師は、この音によって出漁を占い、霊石として祭祀されています。

  • 石塁

    玉﨑神社の石塁(旭市指定文化財)

    この石塁は、17世紀中期の築造と推定され、飯岡石(凝灰質砂岩)で造成されている。この石は、海中より産出されたもので、飯岡の寄石といって明神様の御利益によるものと考えられていた。

  • 竹久夢二文学碑

    竹久夢二文学碑

    「九十九里にて」と題し1907年5月に讀賣新聞に連載され、当神社の「大銀杏に夕日がかかり云々」と、飯岡を訪ね、人情の厚い浜のことが書かれている。

  • 飯岡助五郎碑

    飯岡助五郎碑

    碑の前にある「力石(60貫)」は、助五郎が力比べや雇用の条件に使用したものである。

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