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この歌は、夫婦木と称し、楠の大樹に松の木がくっついた御神木を、文化13年(西暦1816年)5月、篤胤が当神社に参詣した際に仰ぎ見て、たいそう感激され、これは御神威によるところであると詠んだものです。
この御歌は、昭和天皇が昭和8年のお歌会始で、天地の神様に世界の平和を祈られてお詠みになった御歌です。当神社では、この歌に作曲・作舞した祭祀舞である「浦安の舞」と当神社独自の祭祀舞である「磐楠の舞」を、厳かな雅楽の演奏のもと、三大祭(1月15日・5月5日・10月15日)ごとに神前に奉納しています。
この石笛は、享保3年(西暦1718年)頃、漁師の網にかかり奉納されたもので、石質は飯岡石(凝灰質砂岩)です。頭部に直径30cm、深さ40cmの溝穴があり、側面にも穴があって、風が吹き込み、妙音がした。漁師は、この音によって出漁を占い、霊石として祭祀されています。
この石塁は、17世紀中期の築造と推定され、飯岡石(凝灰質砂岩)で造成されている。この石は、海中より産出されたもので、飯岡の寄石といって明神様の御利益によるものと考えられていた。
「九十九里にて」と題し1907年5月に讀賣新聞に連載され、当神社の「大銀杏に夕日がかかり云々」と、飯岡を訪ね、人情の厚い浜のことが書かれている。
碑の前にある「力石(60貫)」は、助五郎が力比べや雇用の条件に使用したものである。